Makin Raider Battle ver1.02
17 August. 1942
Makin
1942年8月17日に行われた、アメリカ第1海兵挺身大隊のマキン環礁ブタリタリ島への奇襲攻撃をシミュレートしている。
E.F.カールソン中佐率いる第1海兵挺身大隊は2個中隊(各2個小隊)の縮小編成として大型潜水艦ノーチラスおよびアーゴノートに分乗し、外洋に面したブタリタリ島南岸より上陸した。ブタリタリ島の守備隊は海軍第六十二警備隊マキン分遣隊の1個中隊(小規模編成2個小隊、計60名)で、指揮官の金光兵曹長は敵兵力を過小評価して正面より攻撃を行い、ほぼ全滅してしまう。
本シナリオでは、ゲームの仕様に合わせる上で何か所かの変更点を加えている。ノーチラスおよびアーゴノートは15cm砲を各々2門ずつ搭載していたが、これを15cm艦砲の盤外配置に置き換えてある。
西側海岸に漂着して日本軍の弾薬車を破壊した分隊は小隊規模とし、その日本軍の弾薬車は大隊司令部で代用し、共にfixしてある。
また、日本軍の対空陣地に据え付けてあった8糎高角砲および13粍高角機銃は守備隊の銃手が操作するものであるが、これに独立した戦闘能力を与えてある。
→ver1.01 地図を変更。
→ver1.02 fixを変更。防御陣地を追加。
Battle of the Tenaru ver2.00
21 August. 1942
Guadalcanal
1942年8月21日に行われた、一木支隊のガダルカナル島ヘンダーソン飛行場に対する攻撃をシミュレートしている。
一木支隊は第七師団の歩兵第二十八連隊を基幹にしたもので、歩兵1個大隊(歩兵4個中隊・機関銃中隊・歩兵砲中隊)と工兵小隊から成る。第二梯団が到着する前に攻撃したので、正味1個大隊、しかも支援火砲は歩兵砲1個小隊分しかない。史実ではこの兵力でテナル河方面(東側)より第1海兵連隊の陣地へ夜襲を行うも攻撃頓挫し、アメリカ軍の反撃によって側面包囲され、部隊はほぼ潰滅した。
本シナリオでは、8月17日にタサファロンガ岬方面(西側)に上陸した横須賀第五特別陸戦隊の一部とガダルカナル守備隊の残存兵力である呉第三特別陸戦隊の一部、併せて約2個中隊をマタニカウ河方面に配置してあるが(この部隊は史実では一木支隊の攻撃に呼応していない)、総じて日本軍は兵力的に劣勢である。
アメリカ軍の兵力は第1海兵師団の第1連隊(3個大隊)および第5連隊(2個大隊)を基幹として、第1軽戦車大隊・第1工兵大隊・第1支援大隊・第11(砲兵)連隊から成る。兵力的には日本軍の5倍以上であるが、防御側という性格である以上、配置正面に張り付けられているので兵力を集中して反撃するような柔軟な運用はできない。このシナリオではFixによってその状況をシミュレートしている。
Battle of the Edson's Ridge ver1.05
12 September. 1942
Guadalcanal
1942年9月12日から13日未明に行われた、川口支隊のガダルカナル島ヘンダーソン飛行場に対する攻撃をシミュレートしている。
川口支隊は第十八師団の第三十五旅団司令部と歩兵第百二十四連隊(3個大隊)を基幹にしたもので、これに青葉大隊(第二師団歩兵第四連隊の第二大隊)・熊大隊(一木支隊の残余および第二梯団より集成。約1個大隊)・独立速射砲第二中隊・独立山砲第二十連隊の1個中隊が加わっている。攻撃配置は、右翼隊に熊大隊、左翼隊に岡大佐指揮の第百二十四連隊第二大隊第五・第六中隊および第二機関銃中隊、主力第一線は左翼に第百二十四連隊第一大隊、右翼に第百二十四連隊第三大隊第九・第十一中隊および第三機関銃中隊、第二線に青葉大隊であった。川口支隊主力は飛行場の南側、通称ムカデ高地(アメリカ軍側呼称“エドソン尾根”)より夜襲を行い、飛行場南側へ進出していた海兵師団司令部に迫る勢いをみせたが、反撃によって撃退され、残存部隊はクルツ岬方面へ後退した。これこそ、太平洋戦争で初めて陸軍の発令した退却命令である。また、川口支隊の攻撃に呼応して、西側より左翼隊が牽制攻撃を行ったが、大勢に影響はなかった。
クルツ岬周辺には横須賀第五特別陸戦隊を配置してある(例によって、この部隊は川口支隊の攻撃に呼応していない)。
アメリカ軍の兵力は第1海兵師団の第1連隊(3個大隊)および第5連隊(3個大隊)を基幹として、第1軽戦車大隊・第1工兵大隊・第1支援大隊・第11(砲兵)連隊・海兵パラシュート大隊・第1海兵挺身大隊、および飛行場警備の第3防衛大隊から成る。“エドソン尾根”の守備隊は海兵パラシュート大隊と第1海兵挺身大隊であった。
→ver1.01 陸戦隊の迫撃砲を歩兵砲に変更。
→ver1.02 アメリカ軍のトラックを除去。
→ver1.03 日本軍のATR(九七式自動砲)を除去。アメリカ軍のfixを変更。37mm高射機関砲の配備位置を変更。
→ver1.04 日本軍の兵力配置を変更。
→ver1.05 日本軍の兵力配置を変更。
Tank attack ver1.00
23 October. 1942
Guadalcanal
1942年10月23日に行われた、第十七軍住吉支隊のマタニカウ河陣地に対する攻撃をシミュレートしている。
住吉支隊は岡部隊(歩兵第百二十四連隊長岡大佐を長とする歩兵第百二十四連隊第三大隊・歩兵第四連隊第三大隊)、中熊部隊(歩兵第四連隊長中熊大佐を長とする歩兵第四連隊第三大隊)、野砲兵第二連隊第一大隊(独立野戦重砲兵第二十一大隊第二中隊を含む)、野戦重砲兵第四連隊第一・第二大隊(野戦重砲兵第七連隊第二中隊を含む)を主力とする軍直轄部隊である。ジャングルを啓開した丸山道を通過できないと思われた第十七軍の重装備は、すべて住吉支隊に配備されていた。
10月23日に予定されていた総攻撃においては、中熊部隊が海岸道から牽制攻撃し岡部隊がアウステン山北西山麓からマタニカウ陣地の側面を攻撃するはずであったが、岡部隊の行軍は困難を極め、兵力の集中を著しく欠くことになった。また、通信不備のため知り得なかったが、主攻であるはずの第二師団主力は未だジャングルの中を苦闘前進中であり、住吉部隊の攻撃自体が牽制の意味を為さないものになっていた(第二師団の総攻撃は翌日に延期され、しかも夜襲に変更される)。
23日夕刻、独立第一戦車中隊を配属された中熊部隊はマタニカウ河の渡河を試みるも、アメリカ海兵隊の火力支援と対戦車攻撃によってすべての戦車を失い、攻勢を中止した。
Counter offensive ver1.05
24 October. 1942
Guadalcanal
1942年10月24日に行われた、第十七軍のガダルカナル島ヘンダーソン飛行場に対する攻撃をシミュレートしている。
百武中将率いる第十七軍は、第二師団(歩兵第四・第十六・第二十九連隊基幹)に歩兵第二百三十連隊(第三十八師団の一部)と歩兵第百二十四連隊(川口支隊の残余)および重野砲第四連隊・重野砲第二十連隊・独立工兵第三十九連隊・独立迫撃砲第三大隊・独立山砲第二十大隊・速射砲第六大隊・速射砲第七大隊等を加えたものである。大本営派遣参謀として辻政信中佐もこれに加わっている。
アメリカ軍の兵力は従来の第1海兵師団の兵力に加えて(ただし、海兵パラシュート大隊・第1海兵挺身大隊は転出)、第7海兵連隊およびアメリカル師団第164歩兵連隊である。
9月下旬、アメリカ軍はマタニカウ河方面で川口支隊の残余および第4歩兵連隊に対して攻勢を行い、右岸に橋頭堡を作り上げ、第1海兵連隊第3大隊と第7海兵連隊第3大隊を配備していた。第十七軍は住吉支隊によってこれを牽制攻撃し、主力はアウステン山南麓を踏破して飛行場の南側のムカデ高地からの攻撃を行うこととした。しかし、海軍の艦砲射撃によって一時的に飛行場の機能が低下したものの人跡未踏のジャングルを行軍するのは容易ならず、主力部隊はほとんどの重装備が後落し、兵士を消耗させてしまう。遅れに遅れた攻撃は10月24日に開始され、那須少将率いる左翼部隊(歩兵第二十九連隊)は第一線を突破するも飛行場突入は成らなかった。また、罷免された川口支隊長に替わった東海林大佐の率いる右翼部隊(歩兵第二百三十連隊・歩兵第百二十四連隊)はジャングルの中で兵力分散し、ほとんど戦果を挙げることはできなかった。
このシナリオでは、第1海兵師団の消耗を考慮して士気を1下げてある。第1海兵師団は8月より戦闘を継続しており、蔓延する熱帯風土病も消耗に拍車を掛けていた。対する日本軍も、マタニカウ河の戦いで損害を被った歩兵第四連隊および川口支隊の残余は士気を低下させてある。さらに、補給途絶の状態で困難な行軍を行った第二師団主力も士気を低下させてある。
日本軍には西側よりコリ支隊(海上機動した第三十八師団歩兵第二百二十八連隊の1個大隊)が登場する可能性があるが、確率は極めて低い(実際には上陸しなかった)。
→ver1.01 シナリオ名を短縮。ターン数の入力間違いを修正。
→ver1.02 日本軍の配置位置を前進。
→ver1.03 日本軍の砲兵大隊司令部を非機械化に変更。
→ver1.04 日本軍のATR(九七式自動砲)を除去。アメリカ軍のトラックを除去。
→ver1.05 日本軍の兵力配置を変更。
Makin '43 ver1.03
21 November. 1943
Makin
1943年11月21日に“ガルバニック”作戦の一環として行われた、アメリカ陸軍第165連隊戦闘チームによるマキン環礁ブタリタリ島への上陸作戦をシミュレートしている。
ブタリタリ島の守備隊は海軍第三特別根拠地隊に属する約1個中隊の陸戦隊で、8糎高角砲・13粍高角機銃・37粍速射砲などで補強されている。日本軍は全海岸線での抵抗を放棄し、東部と西部に島を横断する二重の対戦車壕を掘り、その間の島の中枢部のみを集中防御することとしていた。
これに対し、アメリカ軍は第27歩兵師団第165歩兵連隊・第105歩兵連隊の1個大隊・第105砲兵大隊・第152戦闘工兵大隊・第193戦車大隊の1個中隊で連隊戦闘チームを編成し、第1波(主力部隊)を西側海岸、第2波(2個大隊)を北側海岸へ揚陸した。
第27歩兵師団は州兵を昇格させた部隊であり、後方任務であるハワイの警備から初の実戦に投入されたため、大兵力を有するにも関わらず侵攻作戦は遅々として進展しなかった。準備砲撃の後にゆっくりと前進するWWT型の進撃作戦を採ったあげく、陣頭指揮していた連隊長コンロイ大佐は狙撃兵によって戦死してしまう。しかし、最終的には兵力差がものをいい、上陸3日後、日本軍の玉砕によってこの戦いの幕は閉じることになったのである。
→ver1.01 M3戦車をM4戦車に変更。
→ver1.02 地図を変更。
→ver1.03 全面的に配置位置を変更。
Peleliu '44 ver1.01
15 September. 1944
Peleliu
1944年9月15日に行われた、アメリカ第1海兵師団のペリリュー島への上陸作戦をシミュレートしている。
ペリリューの守備隊は関東軍より抽出された第十四師団歩兵第二連隊(連隊長中川州男大佐)の3個大隊を主力に、歩兵第十五連隊第三大隊、第十四師団戦車部隊・独立歩兵第三百四十六大隊、第八百十八野戦砲兵連隊、および海軍の第四十五警備隊を加えたものである。中川大佐はこれらの部隊を4つの警備地域に分けて配置した。すなわち、北区域に独立歩兵第三百四十六大隊、東区域に歩兵第二連隊第三大隊、南区域に歩兵第十五連隊第三大隊、西区域に歩兵第二連隊第二大隊とし、その他の部隊は島の中央部に機動予備として配置していた。
これに対して、第1海兵師団は激烈な艦砲射撃の後、ホワイトビーチ1と2に第1海兵連隊、オレンジビーチ1と2に第5海兵連隊、オレンジビーチ3に第7海兵連隊を揚陸した(1つのビーチが1個大隊正面に相当する)。海兵隊は上陸1日目に橋頭堡を確保し、18日には飛行場を制圧した。21日にはパラオ本島から第十五連隊第二大隊が海上機動で到着したが、洋上で兵力の過半を失ったため大勢に影響はなかった。アメリカ軍は、早くも27日からは飛行場の運用を開始する。
しかし、山岳地帯の洞窟陣地に籠もる日本軍は頑強に抵抗を継続したため、結局、第1海兵師団は損害補充のために後送され、アンガウル島で戦った第81歩兵師団第321連隊戦闘チームが任務を引き継ぐことになる。日本軍の組織的抵抗が終了したのは11月24日で、アメリカ軍は死者1252名を含む6526名の損害を被った。
→ver1.01 第十五連隊第三大隊を増援に変更。
Angaur '44 ver1.00
17 September. 1944
Angaur
1944年9月17日に行われた、アメリカ陸軍第81歩兵師団(愛称“ブラック・キャッツ”)の2個連隊によるアンガウル島への上陸作戦をシミュレートしている。
パラオ地区の最重要拠点はパラオ本島であり、次いでペリリュー島に大兵力が置かれていたが、燐鉱山のあるアンガウル島にも関東軍の精鋭第十四師団歩兵第五十九連隊第一大隊および砲兵約2個中隊が配されていた。
これに対し、アメリカ軍は事前砲爆撃の後に第321歩兵連隊を東側より、第322歩兵連隊を北側より上陸させる。
水際撃滅を企図していた日本軍は積極的攻勢に転ずるも兵力の損耗を招く。そして、鉱山のある西側高地に撤退して抗戦を継続したが、上陸3日後にはほぼ戦闘能力を喪失してしまう。